丸井今井札幌本店150周年
×札幌三越90周年

歴史物語

北海道の皆さまに愛され、
歴史を刻んできた2つの百貨店、
丸井今井札幌本店、札幌三越。
それぞれが、
「北国の暮らしに豊かさと文化を」
と願い、
互いに切磋琢磨した時代を経て、
ともに歩む現在に至るまで、
いま一度、その足跡をたどります。

北海道発展の歴史とともに歩んだ
2つの百貨店

1872年(明治5年) 丸井今井創業

5月、今井藤七が現在の札幌市中央区、創成川沿いに建つかやぶきの家屋で、生活用品中心の小間物店を創業しました。これが、丸井今井札幌本店の原点です。創業者の今井藤七は、1849年に新潟県三条市で米問屋の三男として生まれました。早くに家を出た長男・次男に代わって、家業を手伝っていた藤七は、明治維新の時代に北海道開拓の話を聞き、希望の大地への夢を膨らませたといいます。「良品廉売」を掲げて話題になった藤七の店は、大いに繁盛しましたが、「商売は、自分だけのためにあるものではなく、人のためになるものでなければ」という信念のもと、良い品物をなるべく安く売る方針を取りました。

今井藤七

1874年(明治7年) 今井呉服店開店

現在の札幌市中央区南1条西1丁目に「今井呉服店」を開店。1879(明治12)年、北海道で初めて、全商品掛け値なしの「正札販売*」に踏み切り、話題を呼びました。当時はまだ簡単ではなかった、東京や大阪からの直接仕入れることにより、価格を抑えた商品を販売。この頃、お客さまから親しみを込めて「まるいさん」と呼ばれるようになりました。これも、利益だけを追求せず、お客さまのために商いを行う姿勢が伝わったことの表れです。
「良品廉売」「北海道開拓への貢献」を二大方針とし、地場産業育成と文化醸成のため、さまざまな業種や教育基金などへの出資・寄付を行い、災害対策への寄与にも力を入れました。
*「正札販売」…正しい値段を書いて商品につけた札を正札、正札を用いて商品を販売することを正札販売という

1888年(明治21年) 丸井今井洋物店を開業

南1条西2丁目(現在の店舗がある一角)に呉服以外を分離し「丸井今井洋物店」を開業。欧米式開拓方式がとられた北海道で、高まる洋品雑貨の需要に応えました。1891年(明治24年)には、民間企業の電力事業のはじまりと同時に店内照明を電灯に切り替えました。

1916年(大正5年) 丸井今井百貨店 誕生

百貨店「丸井今井百貨店」開店。レンガ及び石材構造3階建て、呉服・洋物を一堂に取りそろえる百貨店が誕生しました。当時は珍しかった、デパート最上階の食堂や催事場を設け、大きな話題に。また、この時、初めて女性社員を採用しました。
1923(大正12)年、関東大震災が発生。取引のある東京の問屋再興に尽力するとともに丸井今井各店から救護隊を派遣し、道出身者の救難にあたりました。

1926年(大正15年) 新築店舗(現 一条館) 完成

1924年(大正13年)による店舗火災から、復興。地下1階・地上5階の新築店舗完成。品ぞろえは、家具・家庭用品・楽器・玩具・時計貴金属にも広がり、当時日本では最初であろう美容室の導入も行いました。また屋上には遊園地を設置。猿、カワウソ、ペリカン等も飼われていた。また当時として珍しい店内有線放送や北海道初の客用エレベーター設置も話題になりました。

1930年(昭和5年) 世界恐慌、札幌も大打撃

1931年(昭和6年)までの2年間、札幌は農作恐慌・水害などに見舞われ、経済は大きな打撃を受けます。

1932年(昭和7年) 最大のライバル 三越札幌支店 登場

三越札幌店の開店を受け、「競争は発展の母」とし「良品廉売」を徹底、また「お客さまに徹底的なサービスを」という方針のもと、商品の品揃えや食堂を従来の3倍に拡張するなど、サービスをさらに充実。道産品の催事の積極的展開を図るなど、従業員が一丸となって奮闘しました。

1937年(昭和12年) 札幌本店大増改築 航空燈台の設置

7階建ての店舗大改築の際に、屋上に航空燈台を設置し、定期航空夜間飛行の札幌指標となっていました。航空燈台は旧札幌飛行場(現在の北24条西8丁目)が昭和10年に完成しやがて国内敵飛行開始を目前に控え、逓信省から屋上に要請があり設置。当時旅行者も夜間外出して方角わからなくなり、航空燈台を頼りに帰ったという話もありますが、夜間にくっきり輝く燈台は街のいち偉観でもありました。

1942年(昭和17年) 衣料品が消える

1941年(昭和16年)の太平洋戦争開戦後、販売品目により地域指定販売が決められ、繊維製品は三越札幌店の販売となり、丸井今井から一切の衣料品が消えました。

1945年(昭和20年) 復興へ向けて

終戦。復興への歩みが始まります。

1673年(延宝元年) 越後屋 創業

三井高利が江戸本町1丁目に呉服店「越後屋」を創業。店頭現銀売りを始めました。その後、「三井呉服店」となりました。

駿河町越後屋図 奥村政信・画

三井高利画像

1683年(天和3年) 世界初の正札販売を実践

「店前現銀無掛値(みせさきげんぎんかけねなし)」のスローガンを掲げ、当時は珍しかった「正札販売」を実践。富裕層だけのものだった呉服を、広く一般市民のものにしました。

1904年(明治37年) 日本初の百貨店 誕生

「株式会社三越呉服店」設立。初代専務に日比翁助が就任し、「デパートメントストア宣言」で、日本初の百貨店誕生。この頃、東京から札幌への「出張販売」を開始。時計や傘、ショール、草履などが人気を博しました。以後、30年ほど継続しています。

日比翁助

1914年(大正3年) 三越本店 新館完成

ルネッサンス式5階建新館落成と同時にライオン像や日本初のエスカレーターが設置されました。百獣の王、ライオン像には、三越が「商いの王者」になろうとする気持ちが込められています。
※三越本店 新館=現在の日本橋三越本店本館の元になった建物。

1923年(大正12年) 関東大震災 復興に貢献

関東大震災。東京都内8ケ所にマーケットを設置し、復興に貢献しました。

1932年(昭和7年) 三越札幌支店 開店

「三越札幌支店」開店。地下2階・地上6階建てのデパートが誕生しました。物品の販売だけでなく、東京大博覧会の開催をはじめ、理美容・贈答品相談所や、三越ホールなど、それまで北海道の百貨店にはなかったサービスの提供も、当時大きな話題に。美術工芸品の展示など、文化的な活動にも心血を注ぎました。当時、三越札幌支店の開業は、「北海道の文化を10年進めた」と評されるほど、北海道経済ばかりでなく文化的発展にも大きな影響を及ぼしたと言われています。
また、道産リンゴの品評会や品種改良の促進、当時は行われていなかったメロンの耕作を推奨し食堂で提供するなど、北海道の農業のブランド化にも寄与しました。

1935年(昭和10年) ファッション改革

着物が主流の時代、店内にファッションデザイナーを常駐させ、オーダー婦人服の受注を開始。

1942年(昭和17年) ”切符がなければ”衣料品が買えなくなる

1941年(昭和16年)太平洋戦争開戦。その後、1942年(昭和17年)は衣料品切符制実施。戦争のため統制品になった衣料品など少ない物資を公平に分配する目的で2月に施行され、切符がなければ『買うことも』『売ることも』できない『配給生活時代』をむかえます。その後、三越札幌支店は札幌市の「中央本府指定総合配給所」となり、衣料品を買える希少な店となります。

1945年(昭和20年) 豊平館の仮店舗から復興へ歩み出す

終戦。三越札幌支店全館が進駐軍により接収されました(1947年10月まで)。その間、北1条西1丁目にあった豊平館を仮店舗として営業。

北海道経済をけん引する
札幌のにぎわいを創出

1946年(昭和21年) 戦後の闇市との競争に奮闘

戦後の物資不足で販売する商品がないなか、開拓移民の生活安定に奉仕した丸井今井創業の精神にもとづき、社長以下社員が本州各地の問屋筋を訪問しつつ仕入れを再開しました。

1948年(昭和23年) 「ニュース劇場」を開設

昭和三十年代の子どもたちに特に人気を博したのは、丸井6階(後に7階)にあった「道新ニュース劇場」で、約5~6分のニュース映画を中心に短編アニメなどを上映していました。入場料金3円と破格の安さ、まだテレビが家庭に普及する前だったことから、子どもたちに絶大なる人気でした。
また、この年、第1回目となるさっぽろ雪まつりが開催されました。当時は、大通公園西7丁目を会場に、1日限りの祭典でした。

第1回 雪まつり協賛

1950年(昭和25年) 館内に郵便局が開局

丸井今井百貨店は、称号を「株式会社 丸井今井」に変更。館内に札幌郵便局 丸井今井分室が開局しました。

1952年(昭和27年) とうまん誕生

丸井今井一条本館入り口近くで、機械がガシャンガシャンと鳴り響きながら自動的に「とうまん」が出来上がります。隠れた札幌名物「とうまん」とは、シンプルな味が特徴の白あんまんじゅうのことで、とうまんひと筋に製造販売する「冨士屋」は昭和27年に創業しました。

1953年(昭和28年) 航空燈台活躍

札幌-東京つながる。1968年の廃止まで丸井の航空燈台が活躍しました。

1954年(昭和29年) 洞爺丸台風で甚大な被害

9月、台風15号(通称「洞爺丸台風」)により、青函連絡船5隻が沈没。そのほか道内に甚大な被害をもたらしました。

1955年(昭和30年) 北海道初のエスカレーターを設置

北海道初となるエスカレーターを店内に設置。売場を拡大し、広軌エスカレーター2基を3階まで設置しました。北海道初のエスカレーターは大きな話題となり、連日、エスカレーターを体験したい人々で長蛇の列が。1階の食品売り場を見下ろす、中2階のフルーツパーラーも改修され、人気を集めました。

昭和30年8月エスカレーター
第一号始めて動く

1956年(昭和31年) 本店・支店で大増改築

札幌本店、小樽店、函館店、室蘭店で増改築を行い、売場を拡大。特に、札幌本店は5階にあった食堂を6階に移し、屋上・7階・8階の大増築を実施し、新たにエレベーターも増設しました。12月にはNHK札幌放送局がテレビ放送を開始しました。

1958年(昭和33年) 「平和と繁栄」の願いを込めて

創業85年を記念し、札幌市民会館に「平和と繁栄」のシンボルとして女神像を寄贈。7月には「北海道大博覧会」が札幌市と小樽市で開催されました。

1960年(昭和35年) 屋上遊園地が誕生

8階に催し物専用会場を増築し、屋上に遊園地が開園。この頃、百貨店はレジャースポットとして多くの人たちに利用されていました。

屋上の遊園地

1961年(昭和36年) グリーンセブン設置

札幌本店に施設された広軌アップダウンの公叉エスカレーターは北海道で最初のもの、運転開始に先立ち愛称募集を行い、当選決定したのが「グリーンアップ」。1階から8階まで上下各7基、ベルトは丸井今井のトレードカラー”グリーン”を取り入れ、9月30日正午から神式により修抜祝詞玉串奉典、入鋏式の後、搭乗試運転を行いました。

昭和36年グリーンセブン完成

1964年(昭和39年) 本店別館地下売場オープン

第18回夏季オリンピック東京大会開催。11月、札幌本店別館地下売場がオープンし、にぎわいを見せました。

1965年(昭和40年) 本店別館全館オープン

札幌本店別館がオープン。別館4階に全国業界に先駆け「商品試験室」が新設されました。

1966年(昭和41年) 札幌オリンピック開催決定

第11回冬季オリンピック札幌大会の開催が決定。世界中からお客さまがやって来る5年後の冬季五輪に向けて、本館と新館の間の歩道にロードヒーティングを設置しました。

1969年(昭和44年) 冬季五輪に向かって

さっぽろ地下街の建設が決定。札幌の街はさらに大きく発展を遂げようとしています。

1945年(昭和20年) 豊平館で臨時営業

米軍(GHQ)の札幌進駐により、三越札幌店の接収命令が下り、売り場を喪失。豊平館や市民公会堂で臨時営業を行いました。物資不足もありましたが、店員一丸となって営業が継続しました。

1947年(昭和22年) 戦後の営業本格再開

本店舗の接収が解除され、営業を再開。1階には生鮮食品売場や喫茶室を置きました。喫茶室のメニューは、コーヒー(1杯18銭)をはじめ、ココアや甘酒、アイスクリームなど。ウエイトレスは着物姿に浴衣地のエプロンというスタイルでした。

1949年(昭和24年) 水産事業を復興の鍵に

営業再開後は地域復興への寄与に奔走。この頃は食糧難を打開するため水産事業にも注力していました。
社内報『金字塔』創刊。

三越水産事業
担当者の記念撮影

1951年(昭和26年) 包装紙「華ひらく」全国へ

前年、猪熊弦一郎画伯がデザインした「華ひらく」をクリスマス用包装紙として採用。この年から、三越全店で常時使用がスタートしました。全国の百貨店初となるオリジナル包装紙は、三越のシンボルとして大切な贈り物を包みながら現在に至るまで愛され続けています。
この頃、三越札幌支店では三越食堂がお見合いの場として活用されるようになり、三越での出会いをきっかけにたくさんのカップルが誕生したと言われています。

1954年(昭和29年) さっぽろ夏まつり開催

8月に「第1回商工夏まつり(さっぽろ夏まつり)」を開催。のちにビールメーカー4社が協力し、大通公園でビールを提供する名物行事となりました。

1956年(昭和31年) 札幌一の高層建築に

地下2階・地上8階、開店以来24年ぶりに行われた増築工事が完成し、12月1日に全店開店。洋服部から洋品を分離し、洋品部を新設。洋品の取り扱いがますます強化されました。1階には北海道で初のアーケードが登場し、話題を集めました。

増築完成

北海道初のアーケード

1959年(昭和34年) 大通別館 営業開始

雪まつりイベントとして中島公園で「氷上仮装カーニバル」を開催。三越札幌支店販売促進部が、すべて手づくりの衣装で「龍の舞い」をテーマに参加し、2位と健闘。三越のPRにひと役買いました。
この年、大通別館での営業を開始しました。

札幌中島公園で開催の
市民氷上カーニバル
三越の竜の舞

1960年(昭和35年) すずらんの東京送り始まる

5月20日から1階正面入り口横ですずらんの切り花と鉢植えの販売を開始。東京への発送も承り、好評を博しました。

1963年(昭和38年) 館内にラジオスタジオ誕生

1階アーケードにHBC北海道放送のラジオスタジオを開設。「三越プレゼントアワー」やお客さまの飛び入り出演など、新しい街頭放送形式として、札幌市民の皆さまから好評を得ました。
独自の規格により生産した良品廉価商品<三越ナンバー>の販売が実用品売場でスタート。2枚組の紳士・婦人肌着をはじめ、靴下、タオルなどを取りそろえ、電話でも番号を伝えるだけで注文できるとあって、人気を呼びました。

1964年(昭和39年) 期末特別大奉仕を開催

前年夏に東京日本橋本店で開催された「期末特別大奉仕」が、大きな反響を呼び、札幌店でも2月に開催。爆発的な人気で、入場制限をするほどの盛況ぶりでした。

1967年(昭和42年) 北海道旗 原旗を製作

開道100年を記念し、「北海道旗」を制定。栗谷川デザイン研究所がデザインを手がけた原旗を三越が製作しました。

北海道旗を三越が謹製

1969年(昭和44年) オリンピックへ熱気帯びる

立体駐車場の使用が開始。3年後の冬季オリンピック札幌大会開催に向けて、札幌の街は熱気を帯び始めていました。

活気にあふれる百貨店の成熟期

1971年(昭和46年) 創業100周年の節目

丸井今井は創業100周年の節目を迎え、年間を通じて記念売り出しや記念行事を行いました。11月には札幌市地下商店街がオープンし、オーロラタウンに売店トレビノを開店。(現 きたキッチンオーロラ店)
12月、札幌市営地下鉄南北線が12.6kmにわたって開通し、北24条駅から真駒内までわずか23分で結びました。

創業100年記念特別大奉仕 広告

1972年(昭和47年) オリンピック村に売店オープン

1月、冬季オリンピック札幌大会を翌月に控え、真駒内オリンピック村と競技場にそれぞれ丸井売店を設置。大会期間中は札幌本店にスーベニアコーナーを設けました。
6月には、旧オリンピック選手村の売店跡にスーパーストアをオープン。
またこの年、札幌が政令指定都市に。

1973年(昭和48年) 石油ショックの影響を受ける

この年、第四次中東戦争の影響で、原油価格が高騰する石油ショックが勃発。日本経済が混乱しました。丸井今井でもエネルギー消費量削減のため、開店時間の30分繰り上げ、エレベーターの間引き運転、簡易包装運動などを実施しました。
また、この年 丸井今井の子会社「丸井マルサ」を設立。

1974年(昭和49年) 丸井マルサがオープン

6月、良品廉価、安定供給を目指し、本館8階に「グリーンショップ」が誕生。消費者主義を徹底し、「良い品を買いやすく」を基本とした衣料・雑貨の売場として好評を博しました。
10月、丸井今井札幌本店 大通別館(現 ル・トロワ)に丸井マルサがオープン。個性化、高級化、多様化への指向を意識したファッション性の高さが大きな話題となりました。地下1階には輸入雑貨を扱う「ソニープラザストア」、地上1階には「新宿高野」「銀座ワシントン靴店」など、カルチャーやファッションのトレンドを牽引する店舗が軒を連ねました。

1975年(昭和50年) “男のやかた”“女のやかた”誕生

9月、本店大通新館がオープンしました。一条館と併せて、東京以北随一の規模の百貨店に。オープン初日、新館前の歩道は開店前からお客さまでいっぱい。北大交響楽団の演奏が盛り上げる中、時計台の鐘と同時に、テープカットが行われ、400羽のハトと3,000個の風船が青空に放たれました。一条本館は「男のやかた」、大通新館は「女のやかた」として親しまれ、婦人ファッションにウエイトを置くなど、お客さまのご要望にお応えした店づくりが実践されました。
この年、「長崎屋 小樽店」、「旭川西武」、「札幌パルコ」などが次々とオープンしました。

本店大通新館完成
オープンテープカット

1976年(昭和51年) 札幌地下鉄東西線開通、物産展開催

6月札幌地下鉄東西線開通。それを記念して京都老舗まつり・江戸老舗めぐりを東西東西まつりと称して開催し、大型物産展の先駆けとして、現在まで人気催事として定着。
その他、店祖の今井藤七の出身地の絡みで行っていた大新潟まつりとあわせて、3大物産展が名物催事となりました。その後、84年地下鉄東豊線開通にちなんで開催した加賀老舗展(現 加賀百万石のれん市)の追加により、京都・江戸・加賀の3大老舗展として更に人気を博しました。

地下鉄東西線開通

1978年(昭和53年) 札幌のデパート地図三極化

9月に「札幌そごう」がオープン。五番館、東急、そごうの3店が駅前ゾーンを形成、大通は丸井今井、三越、池内が、すすきのでは松坂屋と、札幌市内中心部のデパート地図三極化はこの頃、形成されました。
またこの年、札幌市営地下鉄南北線が麻生駅まで延伸されました。
丸井ストア第二店「丸井サニータウン光星店」オープン。この頃から道内では、各地で続々と大型スーパーがオープンしました。
11月、旭川支店新店舗開店。

1981年(昭和56年) 創業110年、“新しい顔”が続々と

多くの競合他社がひしめき切磋琢磨する中、創業110年を迎えました。この年、北海道の空の玄関、千歳空港に国鉄の駅が完成。拡張された空港ビルの中に、丸井今井千歳空港店をオープンしました。
札幌本店では、食料品売場をリニューアル。変化する食生活に対応し、豊かに楽しい食事をイメージさせるフロアづくりに注力し、地下2階をバリエーションに富んだ贈答菓子売場にしました。
さらに函館支店でも食料品売場をリニューアル。新たに室蘭支店も新規オープンしました。
創業110年の節目に、北海道の “顔”となる店づくりを展開し、記念事業として文化行事の開催や、道内百貨店初の「グリーンカップテニス大会」を主催しました。

各店店舗

1971年(昭和46年) 全館増築オープン

札幌市の都市計画と歩調を合わせ進めた札幌三越の増築工事。この年10月、ついに地上10階、地下2階、全館の増築工事が完了し、晴れやかにリニューアルオープンを迎えました。オープンを記念し、「さっぽろの街にロマンの花ひらく」をテーマに、さまざまなイベントを繰り広げ、新しい魅力あふれる店舗へ生まれ変わりました。
屋上には遊園地が開園。モノレールや大観覧車などが人気を博し、家族連れに大好評。札幌の中心部ににぎわいを添えました。
またこの年に開通した札幌市営地下鉄南北線の大通駅と地下街、札幌三越が直結。地下2階の入り口付近は、この時から格好の待ち合わせ場所として活用されるようになりました。
この年の暮れから、北海道らしい“札幌オリジナルデザイン”の包装紙を使用し、売り上げ拡大に貢献しました。

リニューアルオープン時

当時の広告カタログ

1972年(昭和47年) オリンピックイヤーにTVショッピング開始

2月に開催された冬季オリンピック札幌大会。真駒内オリンピック村三越売店を開店しました。
4月には、北海道で初めてのテレビショッピングを放送。企画を北海道放送(HBC)に提案し、実現しました。最初の商品は女性用のヘアウィッグで、合計366個を売り上げました。
また、ホクレン新緑祭がこの年から開催され、現在でも名物催事となっています。
またこの年、ベテラン女性社員6名による、札幌三越初の家庭外商班が活動。女性の活躍が進みました。
さらに、この年から海外旅行・国内旅行を取り扱うサービスセンターが発足しました。
12月、三越創業から300年の節目を記念し、日本橋本店のライオン像をかたどり、全国の支店に設置。札幌三越にも設置され、4丁目スクランブル交差点のシンボルにもなっています。

三越ライオン像

1973年(昭和48年) 年間売上で札幌の“一番店”に

昭和48年度は、石油ショックの逆風がありながらも、札幌三越の年間総売上は278億2000万円を記録。これまで不動の1位だった丸井今井を抜き、札幌の“一番店”となりました。(1975年まで)
この年、世界的観光ポスター作家の第一人者、栗谷川健一氏のポスター展を開催。オリジナル作品の即売展も開催し、話題を呼びました。

1974年(昭和49年) 女子社員のユニフォームを一新

昭和45年から女子社員が着用していたグリーンのワンピースに代わって、若さと気品をテーマに、機能性を重視したジャンパースカートを導入。店内の雰囲気が一変しました。
また女子社員の役割を制度的に位置づける「レディスセールスリーダー制度」を発足。女子社員がますます輝ける場の創出に取り組みました。

当時のユニフォーム

1975年(昭和50年) 札幌三越の“企画力”で集客増

年間を通して、明治、大正のロマンシリーズとして、各種文化催事を企画。「竹久夢二展」「宮沢賢治展」に続いて、北海道にゆかりの深い「石川啄木展」を特設会場で開催。幅広いファン層を持つ啄木の魅力を伝えました。
11月には「産地直送、廉価販売」をキャッチフレーズに、消費者サービスの新企画として、北海道漁業協同組合連合会主催による「第1回ぎょれん大豊漁祭」を開催。140品目の鮮魚や水産加工品が並ぶ会場内には、豊漁を祝う民謡のメロディを流し、威勢のいい掛け声が響き合い、大盛況となりました。

1976年(昭和51年) 札幌市内に新業態オープン

9月、焼き立てパンをお届けするインストアベーカリーをメインに、食料品や家庭用品、化粧品やファッション衣料を販売する「西すすきの三越 バラエティストア」を開店。昭和60年まで営業を続けました。
12月には、札幌グランドホテル地下1階300坪のフロアに「札幌三越エレガンス」をオープン。時代の流れを先取りした国内外の高級ブティックの数々をはじめ、格調高い店舗が顔を揃え話題を呼びました。また道内随一の画廊を併設。昭和63年まで営業し、ホテルの宿泊客にも好評を博しました。

札幌三越エレガンス

1977年(昭和52年) サロンド三越晩餐会開催

お客さまからのご要望に応え、本格的なフォーマルパーティ「サロンド三越晩餐会」をこの年から開催しました。ディナーやイベント、ダンスパーティをお楽しみいただき、最後にチャリティを行うのが習わしに。チャリティで集まったお金は、北海道新聞社を通じて日本赤十字に寄付しました。
この年、お客さまからのニーズが高まり、10万円の商品券を発行。
9月には「札幌白石三越バラエティストア」が開店し、地域のお客さまに親しまれました。

1980年(昭和55年) 札幌三越名画劇場オープン

ホテルアルファ内に、落ち着いた雰囲気の内装と63席のゆったりとしたリクライニングシートを備えた「札幌三越名画劇場」がオープン。こけら落としは、北海道を舞台とした山田洋二監督の「幸福の黄色いハンカチ」を上映。以後、文芸色の濃い話題作、傑作名画を上映し、映画ファンに愛されることに。札幌三越は、文化の発信拠点としても役割を果たしていました。

札幌三越名画劇場

1983年(昭和58年) 札幌店のテーマソング完成

現在、スクランブル交差点にて時報で流れているスクランブルパラダイスは、この年の6月頃に完成。
作った経緯は、その年の3月に札幌店に赴任してきた荻荘(オギショウ)販売促進部部長が、開店の館内ミュージックが「お江戸日本橋」(当時は地方店が使用していたケースが多かった)だったため、「なぜ東京でもないのにお江戸日本橋が流れているんだ。直ぐ札幌店のテーマソングを作るべきだ」と指示したことがきっかけでした。そして放送プロデュース担当の中島氏が窓口となり電通に発注、作曲は「佐瀬寿一氏」、歌は「チューインガム」という姉妹デュオ、作詞は当時電通のクリエイティブを担当していた複数の人が作り完成したそうです。作曲家の「佐瀬寿一氏」は、「およげ!たいやきくん」「暑中お見舞い申し上げます」などを手掛けた方です。

2つの百貨店が心をひとつに、新時代へ。

1984年(昭和59年) 北海道物産まつり開催

大分から発生した一村一品運動の流れを受け、北海道も協力に推進することをきっかけに、日頃から、丸井今井を支えてくださっているお客様への感謝と広く北海道各地の活性化につながるよう「北海道物産展」を開催しました。
毎年開催され人気催事となり、北海道の物産を全国に広げようと、丸井では1990年に北海道百科を設立、北海道の隠れた名品を掘り起こし、全国に流通させています。
11月1日から6日間、9階催事場にて開催しました。各市町村の名産が人気の中心となり、期間中のご来場者数は約20万人。大盛況のうちに幕を閉じました。この年の人気商品ベスト3は、1位しらす佃煮(寿都町)、2位ホッケの飯寿し(紋別市)、3位にしん親子漬(留萌市)でした。
これ以降、丸井今井の北海道物産まつりは名物行事となり、その名は全国にもとどろくほどの人気を博しました。

北海道まつり

1985年(昭和60年) 全館リモデルグランドオープン

北海道経済の状況や消費動向の変化を鑑みて、創業以来の「地域一番店」の座を将来に向けて不動のものにすべく、大革新リモデルを実施。丸井今井のロゴマークを、井げたのマークから、Mをモチーフにしたマークに変更しました。これに伴い、包装紙・手提げ袋のデザインも一新。
また店舗デザインは、伊勢丹をはじめ多くの百貨店を手掛けた実績のある、シェイクス&ジョンソン社と契約。回遊性の高い導線や売場配置のアイデアを取り入れながら、若々しくファッショナブルな都市型イメージの店づくりを敢行。米国小売業協会店舗デザインコンテストで最優秀賞を受賞しました。
1月、「改装オープン前の売りつくし」をスタート。連日、多くのお客さまでにぎわいを見せ、1週間で約1か月に近い売上を記録。入店が多すぎて、エスカレーターが停止する事態も起こるほどでした。
その人気を受け、例年1月に売りつくしセールが慣例となり20年程度続きました。
3月、アクト・ワンとして新しい丸井今井がオープン。
6月、札幌本店全館完成オープン。「マルイ性格、イマイ生活」のキャッチコピーで新広告キャンペーンを展開しました。
またこの年、顧客会員組織クレオクラブが発足。

1987年(昭和62年) テレビショッピング事業に参入

1979年以前からラジオショッピングはしていましたが、1987年10月、独自に製作したテレビショッピング番組の放送を開始。土曜・日曜を除く、毎日放送し、電話による受付は午後8時まで続きました。
また、この頃、デザイナーズ&キャラクターブランドの最盛期で、丸井ではデザイナーズ&キャラクターブランドバーゲンを開催し、最盛期には行列が下層階まで並ぶほど話題となりました。
12月、大通公園で「第1回さっぽろホワイトイルミネーション」が始まりました。この年から、札幌の冬の風物詩となり、年々美しさを増しながら、現在まで続いています。

1988年(昭和63年) 「ラフレスカ」オープン

青函トンネルが開業し、北海道と本州が陸続きとなったこの年の3月、札幌本店の地下食品フロアがリモデル。「ラフレスカ」としてオープンしました。
12月、札幌市営地下鉄東豊線が「栄町」-「豊水すすきの」の間で開通。東豊線「大通」駅の出口が丸井今井札幌本店に隣接し、アクセスがより便利になりました。
食品フロア「ラフレスカ」が、国際的に権威あるNRMA(全国小売商協会)のインテリアデザインコンペ<食品小売部門>で1位を獲得。

1991年(平成3年) 創業120周年

創業120周年のテーマを「感謝と出発」に定め、丸井今井を支持してくださるお客様、これまでの丸井今井を築き上げた先人・諸先輩方への感謝を忘れず、信頼と実績を次の世代へと引き継ぐための新たな出発の1年と位置付けました。
6月、プリペイドカード「まるい愛カード」を発売。従業員の新ユニフォーム着用をスタート。
この年、創業120周年を記念したイベントを各種開催したほか、札幌市をはじめ道内の自治体に総額1億円を寄付しました。

2002年(平成14年) 札幌本店南館オープン

一条館の南東側に地下2階・地上7階の南館をオープン。北海道日本ハムファイターズや北海道コンサドーレ札幌のオフィシャルショップを展開するなど、北海道の皆様に愛され、2018年まで営業を続けました

2007年(平成19年) きたキッチンオープン

札幌市の人口が190万人を突破したこの年、さっぽろ地下街のオーロラタウンに、北海道各地の名物をバラエティ豊かに取りそろえる「きたキッチン」がオープンしました。

2009年(平成21年) 新たな経営体制へ

8月、三越伊勢丹ホールディングスの連結子会社として出発。

2011年(平成23年) 札幌丸井三越設立

北海道で誕生し、130年以上の歴史を持つ百貨店「丸井今井札幌本店」と、長年にわたって良きライバルとして切磋琢磨してきた「札幌三越」が、経営を統合。札幌市民はもとより広く北海道の皆様に愛される百貨店として生まれ変わりました。

2012年(平成24年) 丸井今井札幌本店創業140年

同時に創業80周年を迎えた札幌三越とともに、“未来に向けた暖簾の融和”をテーマに、記念イベントを合同開催。

2014年(平成26年) 西館オープン

西館のオープンに伴い、ルイヴィトン丸井今井札幌本店をリニューアル。

2017年(平成29年) 丸井今井創業145周年

記念の年にアイヌ文化と丸井今井の取り組みのひとつとして、ショッピングバッグをリニューアル。色は丸井今井のコーポレートカラーの赤と、北海道の美しい深い海の青をイメージ。アイヌ文様の中からハートに見える形を選び、展開。ハートのとがった部分もアイヌ文様として魔除けの役割があり、アイヌ語で「キラウ」、角(ツノ)という意味があります。愛するものを守る役割とともに、親しみや愛を感じさせるデザインが生まれました。

2022年(令和4年) 丸井今井創業150周年・札幌三越創業90周年

2011年の統合までの間、長らくライバル関係にあった札幌三越と、互いに切磋琢磨しそれぞれの暖簾を創り上げてきました。
今年は周年を記念し、札幌三越と再び対決をする「周年対決企画」を開催。また、北海道の新しい時代を作る若者たちの手によって表現したいと考え、
一般社団法人札幌大学ウレシパクラブと協力して周年ロゴを制作。その他、さまざまなイベントを開催。

1982年(昭和57年) 札幌三越創業50周年

5月、創業50周年を迎え、記念小冊子「札幌三越50年のあゆみ」を刊行。

1983年(昭和58年) ストライプバッグ登場

2月より、新しい有料のストライプバッグが登場。各国の国旗に使用する6色を基本に、新生三越の躍動感を表現。耐水性のある大・中・小3サイズを展開。

1985年(昭和60年) 13年ぶりの店舗リニューアル

新しい時代の変化に対応できるフレキシブルで表情豊かな百貨店を目指し、この年3月に13年ぶりの店舗リニューアルを実施。スローガンは“鮮度・YOU”。婦人服や呉服を中心にリフレッシュを計りました。

1986年(昭和61年) リフレッシュオープン

3月、“三越がまたおもしろくなります”をテーマに、リフレッシュオープン。“ちょっと変えると世界が変わる”をキャッチフレーズに、より魅力ある売場づくりを展開。データベースにより顧客ニーズを管理し、売り場ごとに端末機を設置して全国的な情報交換を展開。効率的な商品管理を進める情報通信システムを導入しました。

1987年(昭和62年) さっぽろホワイトイルミネーション開始

12月、大通公園で「第1回さっぽろホワイトイルミネーション」が始まりました。この年から、札幌の冬の風物詩となり、年々美しさを増しながら、現在まで続いています。

1988年(昭和63年) 食品フロア大改装

9月、地下2階、地上1階を全面改装してオープン。食品フロアは「食賓館」としてリニューアルオープンしました。食の時代を提案するため、生鮮三品の強化充実、ビッグブランドの導入、自主編集売場の強化と拡大、食文化の情報を北から全国へ発信といった目標を定め、地域一番店を目指す店づくりに邁進しました。
またこの年、青函トンネルが開業し、北海道と本州が陸続きに。札幌市営地下鉄東豊線が「栄町」-「豊水すすきの」の間で開通しました。

1989年(平成元年) 正面壁面に光のツリー登場

11月、札幌三越正面の壁面に光のツリーを点灯。入口前がクリスマス広場に。札幌少年少女合唱団20名を招き、クリスマスキャロルなどを披露しました。また12月にはサンタに扮したちびっ子たちを乗せた、夢のサンタ電車を運行。子どもたちが参加中、保護者のみなさまには店内でゆっくりお買い物を楽しんでいただきました。

光のツリー

1990年(平成2年) “ダリ展” “ベルリンの壁”に沸く

2月から3月にかけて2週間、「ダリ展」を開催。入場来客数は7万人を超え、大阪、名古屋の記録を抜き、新宿に次ぐ記録を樹立しました。
また6月には、東西ベルリン分断の象徴だった“ベルリンの壁”を、道内で初めて札幌三越の屋上で公開。マスコミをはじめ大きな話題となりました。

1991年(平成3年) 大規模リニューアルオープン

この年、三越ギャラリーや、カフェ&レストラン「ランドマーク」、5階フロア、メンズフロアなどをリニューアル。ギャラリーはこれまでの美術サロンを5倍に拡大し、世界のアートから次世代を担う道内作家まで幅広く紹介する場として9階にオープン。札幌の新たな美術空間として注目を集めました。
また、昭和7年に開店し愛され続けてきた食堂は、9階に「ランドマーク」としてリニューアル。メンズフロアにも世界的な高級ブランドがオープンしました。
この年、売上は念願の600億円を達成。

ランドマーク

5階フロア

1992年(平成4年) 新館「アネックスオープン」

メンズ゙・呉服・スクールユニフォームなどを扱い、年度で初めて600億円売上達成。2015年まで続きました。

2002年(平成14年) 札幌アルタ開店

10月、若者向けファッションの情報発信拠点として地下2階・地上9階の「札幌アルタ」がオープン。10代、20代のヤング層でにぎわいを見せ、2010年まで営業を続けました。

2011年(平成23年) 札幌丸井三越設立

北海道で誕生し、130年以上の歴史を持つ百貨店「丸井今井札幌本店」と、長年にわたって良きライバルとして切磋琢磨してきた「札幌三越」が、経営を統合。札幌市民はもとより広く北海道の皆様に愛される百貨店として生まれ変わりました。

2013年(平成25年) 札幌三越創業80年

同時に創業140年を迎えた丸井今井札幌本店とともに、“未来に向けた暖簾の融和”をテーマに、記念イベントを合同開催。

2014年(平成26年) 三越ショッピングバッグリニューアル

三越のショッピングバッグがリニューアルされ、「実り」のデザインが採用されました。
またこの年、エムアイプラザ釧路昭和店オープン。
その後2015年エムアイプラザ旭川店、2016年エムアイプラザ苫小牧と新規出店が続きます。

エムアイプラザ釧路昭和店

エムアイプラザ旭川店

エムアイプラザ苫小牧店

2015年(平成27年) リモデルグランドオープン

9月、「あなたの三越」をスローガンに、リモデルグランドオープン。本館地下1階・地下2階の食品フロアをはじめ、本館2階の婦人服・婦人雑貨フロアが生まれ変わりました。

2022年(令和4年) 丸井今井創業150周年・札幌三越創業90周年

2011年の統合までの間、長らくライバル関係にあった丸井今井と、互いに切磋琢磨しそれぞれの暖簾を創り上げてきました。
今年は周年を記念し、札幌三越と再び対決をする「周年対決企画」を開催。また、北海道の新しい時代を作る若者たちの手によって表現したいと考え、一般社団法人札幌大学ウレシパクラブと協力して周年記念ロゴを制作。その他、さまざまなイベントを開催。